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妻との馴れ初め 執筆:赤木あつし

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こんにちは!
幸せ実践塾塾長の赤木あつしです。
 
いつもは「リストラブログ」を書いていますが、今回は
「「幸せ実践塾」通信(SJ通信)」
というメルマガからお届けしますね。

 

今回は、「妻との馴れ初め」というテーマで、
実に21回に及んだシリーズの初回になります。

 

付き合い始めてはや10年、結婚してもうする7年になります。

そんな妻との出会い、そして結婚生活は、
非常に大きな影響を私に与えてくれました。

 

そんなことを振り返りながら書いた、
2018年8月8日に発行したメルマガをご覧ください。
 
タイトルは「結婚するつもりでいました」になります。

こんにちは!
幸せ実践塾・塾長の赤木あつしです。
 

 

ふと、妻との馴れ初めについて書こう
と思いました。
 
三浦綾子さんの自伝的小説、
「道ありき」を読んでいて、
そう思ったのです。
 
それで、
妻との出会いから思い出してみると、
やはりその前の婚約破談の話に
触れざるを得ません。
 
これまで、
うろ覚えで適当に年月を書いたのですが、
正確に書き記しておこうと思い、
過去のメールを読み返しました。
 
おそらく1回では書ききれないと思いますが、
前の彼女との関係から
書いてみようと思います。
 

 

前の彼女は、
カラオケ店に勤めていた女性です。
 
2005年の秋、
ひょっとしたら1年後くらいに
結婚するかもしれない
というメールを親に送っています。
 
そのころ、付き合い始めてから
1年以上は経っていたと思います。
 

 

カラオケ店というのは、
要はキャバクラのようなものです。
 
男性客の隣に座って接客する。
 
連れ出しができる風俗店もありますが、
彼女が働いていたのは
連れ出しができない店でした。
 

 

出会ったのは、
タイに赴任したばかりの2001年の終わりか、
2002年の早い段階です。
 
付き合うことになるまでに、
3年以上も要しました。
 
その店に行けば、
だいたい彼女を指名したのですけどね。
 
まあ、仕事として(接待)しか行かないので、
誰でも良かったのです。
 
慣れていて、気も合ったので、
ずっと指名していたというわけです。
 

 

付き合い始めてから数ヶ月後、
おそらく2005年の半ばだと思いますが、
彼女が店を辞めたいというので、
私が生活費を補填することにしました。
 
毎月4万バーツ、約12万円です。
 
そのころは月収60万円くらいあったので、
そのくらいは平気で払えたんですね。
 
なお、ボーナスはありませんので、
年収で800万円超です。
 

 

彼女は、
ナイトマーケットに店を出したいと言うので、
その保証金なども出しました。
 
そのころ、車を買うと言うので、
その頭金も私が出しました。
 
ホンダのジャズという
1500ccくらいのタイにしては小さい車です。
 
買って与えたわけじゃありませんよ。
 
頭金だけ出したのです。
 
こんな私でも、
ただお金を与えるということには、
抵抗感を持っていたのです。
 

 

2006年4月、
私の母がパーキンソン病と診断されました。
 
これは後に、レビー小体型認知症と
改められるのですけどね。
 
いずれにせよ、
現代医学では治せないとされている病気。
 
母方の祖母がまだ健在でしたが、
45歳にもなる私の結婚を
早く見せてあげたいという思いは
強くなっていただろうと思います。
 

 

しかし、彼女はなかなか煮え切らず、
結婚しようという私の話にノッてきません。
 
とうとう私も堪忍袋の緒が切れて、
結婚しないなら別れると告げたのです。
 
そのことによって、
彼女もやっと結婚を考えるようになりました。
 
そこから急速に、
結婚に向けて進んでいくことになりました。
 

 

お坊さんに結婚の日取りを占ってもらい、
翌年の2007年7月7日に決めました。
 
タイでは、重要な日取りは
お坊さんに占ってもらうのです。
 

 

その後、彼女の母親にも会いました。
 
とても喜んでくれました。
 
式の日取りが正式に決まったのは、
おそらく2006年の12月くらいかと思います。
 
2006年10月の時点では、
まだ決まっていませんでしたから。
 

 

関係ありませんが、
2006年9月にクーデターが起きたのですね。
 
当時はタクシン首相でしたが、
クーデターによって海外逃亡しました。
 
あれから、
タイの政治はデモの応酬によって、
混乱することになりました。
 
そんな最中での婚約だったのですね。
 

 

10月の時点では、結婚式や披露宴のことなど、
まだ何も決まらない状況ながら、
家族にはできるだけ参加して欲しい
という意向を伝えています。
 
その数ヶ月後に破談になるとも知らず、
初めての結婚に浮かれていたのです。
 

 

いえ、
決して浮かれていたわけではありません。
 
私なりに真剣に考えていました。
 
年齢が違うこと、
育った文化が違うことなど、
これから様々な問題が起こり得ることも
考えているつもりだ
と母にメールをしています。
 

 

しかし、
唯一考えていないことがあったのです。
 
それも、
後になって気付かされるのですけどね。
 
結婚できないという可能性です。
 

 

このころは、
さかんにネットでいろいろ注文して、
実家へ送っていました。
 
お金はふんだんにあったので、
両親に贅沢させてあげたかったのです。
 
私の年収は1000万円になっていました。
 
経済的に絶頂期だったのです。
 

 

翌年、2007年1月になって、
家族内に不協和音が聞かれるようになりました。
 
タイでの結婚式に参加するのかしないのか、
はっきりしない家族の態度に
私もキレそうになったようです。
 
彼女のためにも、日本人の家族親族が
なるべく多く出席して欲しい。
 
しかし、
無理してでも来てくれとは言いたくない。
 
いろいろな思いが錯綜していました。
 

 

2007年3月23日に姉に送ったメールには、
地元貢献にもなるからと、
披露宴で神楽を舞ってもらうという
私らしい提案もしています。
 
石見神楽(いわみかぐら)が大好きですから。(笑)
 

 

父の誕生日に、
姉夫婦も帰省しているからと、
高価なカニやウイスキーも贈っています。
 
社員旅行でチャン島へ行くことを、
父へのメールに書いてありました。
 
会社の業績も順調に伸びていたころです。
 
800gのローストビーフをネットで注文し、
妹に贈ったこともメールにありました。
 
本当に、1ヶ月に
どれだけお金を使っていたのでしょうね。
 
母が心配して、
「もう買わなくていいから」
と言いたくなるのもわかるような気がします。
 

 

姉夫婦は、バンコクでの結婚式に
参加すると言っていました。
 
それで、4月17日には、
旅行プランもメールで伝えています。
 
着る服とか、ついでの観光とか、
いろいろ伝えていますね。
 
まだ、破局が目の前だとは、
まったく思っていなかったのです。
 

 

そして2007年4月24日に、
私は家族宛に緊急のメールを送っています。
 
「突然ですが、急いで
お知らせしておかなければならないことが
発生しました。
 まさに青天の霹靂ですが、
私の結婚の件は、現在、
破談の方向で動いています。」
 
おそらく、前日の23日に、
彼女からSMSを受け取ったはずです。
※後で考えると、受け取ったのは24日の朝のようです。
 
「あなたとは結婚できません」
 
「あなたとはもう会えません」
 
1週間前まで、
普通にこれまで通りに会っていたのに。
 

 

やはり、1回では終わりませんね。
 
次回に続きます。

 
※後で読み直してわかりにくい部分などありましたので、
配信したメルマガに加筆修正しています。

 

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88 赤木あつし

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